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Selfishly

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金猫の恩返し Off本版2章



  ~『金猫の恩返し』~
        OFF本版 第2章



  二章  ~ ぬくもり ~

 「君・・・そんな中で、何をしているんだ?」


 呆れの強く滲んだ声で、そう訊ねられ、エドワードは心底驚き、飛び上がらんばかりだった。
 体が寒さで悴んでなければ、まさしく座ったままでも、飛び上がって驚きを示していただろう。

 今日は尽いてない日だった。
 成果のない旅は、慣れたくないが慣れっこになっていた。
 重い足取りで、イーストシティーに立ち寄り、新しい情報をと一縷の望みを託して来たのに、
乗ってきた列車のトラブルに巻き込まれて、到着が遅くなってしまったのだ。
 その所為で、図書館は閉館、馴染みの古書屋は閉店しており、最後の頼みの綱の当方司令部では、
主不在で情報の有無は確認できなかった。
 東方までの道のりで、我慢に我慢していたエドワードの苛々は極限に達し、
ほんの些細な事で弟と口論しては、宿を飛び出して来てしまった。

 それでも、弟を追い出さない位には、エドワードも分別は持っている。
 何せ、自分の苛立ちは八つ当たりなのだから。
 弟が悪いわけでも当然、無い。 周囲でも、勿論ないのだ。
仕方ない事だと判っているから。
 そう・・・、今の弟の姿を見て怖がられる原因を作ったのは、自分だ。 
 だから、一番の悪者は自分で、誰に当たる資格もない。
 そんな事は判りきっていたから、エドワードは人気の無い公園の土管の中で、
濡れそぼる猫のように、身を縮込ませて、震えているしか出来なかった。


「うちの子に、触らないで下さい!」
 ヒステリックな声が、周囲に響き渡る。
 母親は、まるで身を挺して庇うように、幼い子供を抱き囲むと、
周囲の人々に隠れるように、下がっていく。
「なっ!!」
 声を張り上げようとしたエドワードを、アルフォンスが肩を押さえて引き止めると、
人気の少ない座席へと移っていく。

「なんだよ、あの小母さん。 まるで、俺らを人攫いみたく言いやがって」
 憤懣を吐き出すエドワードに、アルフォンスは兄を宥めるように、小さく項垂れて呟く。
「仕方ないよ、兄さん。 お母さんなら、子供を心配して当たり前でしょ?」
「・・・でもお前は!」
「いいんだよ、きっと知らない人が近づいたから、お母さんも警戒したんだよ、きっと」
 そう話を打ち切ると、明るい声で、東方で待ってくれている面々の話を持ち出しては、
楽しみにしている事を伝えてくる。
 弟が気を利かせて変えた話に乗りながら、エドワードも何事もなかったかのように、
話、笑いして答えていく。
 泣きたくても泣けない弟を差し置いて、自分が泣くなど、許せないから。
 だから、精一杯楽しそうに笑ってやるのだ。
 


 子供は元気に通路を走り回っては、はしゃいでいた。
 外出が楽しいのは、子供なら皆同じだ。
 愛らしい様子に、微笑ましく見ている者、少々煩さに、眉を顰めている者様々な反応の中、
最も無関心だったのは、その子の母親だったかも知れない。

「危ねーな」
 チョロチョロと覚束ない足取りで動き回る幼い姿は、平坦な広場なら良いが、
高速で走っている乗り物の中では、危なっかしくて見ていられない。
「う・・ん、ちょっと列車の中じゃ、こけないか心配だよね」
 ハラハラとしながら、椅子をよじ登り吊革にぶら下がては、
喜んでいる子供を見守っていた瞬間、列車は大きな振動と共に急ブレーキを踏んだ。

「あっ!」と叫んだと同時に、振り子に飛ばされたように、子供の姿が宙に浮く。
 周囲の者は、自分の身を立て直すのに必死で、誰もそんな子供の状況に気づいてもいない。
 周囲に湧き上がる悲鳴や怒号の中、いち早く動いたのは二人で、
更に通路側に近かったアルフォンスが、床に叩きつけられそうになった子供を、間一髪で抱きとめる。

「わぁ~ん!!」
 子供の甲高い泣き声に、漸く母親が自分の子供の行方に気づく。
「大丈夫? 驚いたよね。 もう、大丈夫だからね」
 あやす様に泣き叫ぶ子供を抱き上げながら、声をかけているアルフォンスの姿を目にした途端、
母親は「ヒッ!!」と短い悲鳴を上げて、子供を抱くアルフォンスに突進してきたかと思うと、
奪い返すように抱きかかえ、先ほどの言葉をアルフォンスにぶつけたのだった。

「でね、今度帰ってきたら、フュリーさんが、その子猫たちの家に連れて行ってくれるって話してたんだよ」
 楽しそうに語る口調は、表情が見えなくてもわかるほど、嬉しげだ。
 東方のメンバーの事を、アルフォンスが好きなのは知っている。
今の弟の姿を受け入れてくれたのは、世間では胡散臭がられている軍の人間だった。
 あそこでなら、アルフォンスは自分の事を気兼ねせずに過ごせるのだ。 
 そして、弟を傷つけられない事で、エドワードも不安がる必要がない。 
 いつ、どこで、不用意な言葉や態度で、弟が傷つけられないかと・・・。
 弟が言う「仕方ない」の口癖は、エドワードの心を抉る程の痛みを伴うようになっていたから。
 大きな身体を、視線から隠すように小さくして、大人しくひっそりと過ごす姿に、
軋むような悲鳴が洩れそうになっていたから。

 だから、望んではいないんだと言い聞かせながらも、定期的に東方へと、司令部へと戻っていく。
 そこでなら、張り詰めていた神経が、少しだけ休息の時間を得れるからだと、
エドワードの意識とは逆に、本能は気づいているのだろう。
 気が緩むと、今まで押さえていた感情も浮き上がってくる。
 怒りに、焦りに、疲れや、嫌悪。
 モロモロの感情が混ざり合っては、エドワードの苛々を倍増させていく。 
 八つ当たりだと判っていながらも、心配して色々と言ってくれる弟に、
「煩い!」の一言で飛び出したのは、これ以上、弟を悲しませない為。
 そのままでは、弟にどれだけ酷い事を告げてしまうか判らない自分から、弟を守る為。
 余所の町や村で、アルフォンスを独りにするなど、考えた事はないが、
ここ東方では、二人の存在に街自体馴染んでくれているし、親しい人々も数が増えていっている。
 だから、自分が飛び出して行く。

 でも、どこにも行く当てなど、有る筈も無い。
 振りそぼる雨の中、狭く暗い土管の中で、エドワードはそこから見える灯火を見つめていた。
 雨が降る静かな夜だからこそ、見える家屋の灯火は華やいでいて。
 凍えるほど寒い外気だからこそ、灯火の光りは暖かに映る。
 けれど、その灯りのどれ一つとして、今のエドワード達に、願えるものではないのだ。
 近くに在って、まるで別世界のような灯りを、憧れさえ持ち得ない程、
無感動に、無気力に、ただ眺めていた。

 視点の定まらない視線の先に、飛び込んできたモノに、エドワードは息を吸い込む程、驚かされた。
 ・・・まぁ、考えてみれば、この街の住人なのだから、見かけたとしても、
別段不思議でも何でもないのだが、まさかこんな時間に、こんな場所で自分が縮こまっているような時に、
わざわざ目にしたい人物でもない。
 『サッサと、通り過ぎろ』 そう念じながら、気配を更に消すように、息も詰めて視界を横切る相手を窺う。
 そんなエドワードの願いも伝わらなかったのか、一瞬で視界から消えるだろう人影は、
何故だか立ち止まり、気のせいでなければ、こちらを・・・エドワードの潜んでいる辺りを、
探るような様子を見せている。
『早く行けよ! 雨の日に無能な癖して、こんな日に出歩くな』
 心で念じている暴言が届いたわけではないだろうが、暫く様子を窺っていた人影が、
漸く動き出して、エドワードの場所からの狭い視界から消えうせた。
「ホォー」小さな安堵の吐息が、音無く呟かれそうになった瞬間。

「君・・・そんな中で、何をしているんだ?」
 その声に、抜きかけた気が、一瞬に張り詰める。
 思わず声の方に視線を向けると、相手も驚いたようにこちらを見ている。
 後から考えれば、深夜に土管の中で知り合いを見つければ、誰でも驚いてて当たり前なのだろうが、
その時のエドワードは自分の驚きで手一杯になっていた。
「えっ?大・・。 なん・・・、どう・・・」
 混乱して、慌てていたせいか、言葉が上手く紡げなかった。
が、どうやら覗き込んでいる相手は、別の言葉に変換して受け取ったらしく、律儀に説明を返してくる。
「それを言うなら私のほうだろう?
 ここはたまたま私の家の近くで、帰り道だ。

 それよりも、君こそこんな処・・・中で何をしてるんだ?
 それにアルフォンス君は?
 いや、それより何時戻ってきてたんだね?」
 矢継ぎ早な質問に、夕刻の不愉快な思いがぶり返してくる。
 頼みの綱で訪れた先では、珍しく大佐は帰っており、無駄足を踏まされたのだ。
 あれが無ければ、エドワードとて、もう少し我慢を利かせる事も出来た筈なのだ。
 その元凶が視界を横切り、その上、訝しそうに自分に問い詰めてくる等、不愉快で不機嫌に加速がかかる。
 
「今日・・・別に何でも・・な・・い」
 不機嫌な気分そのままに、ぶっきらぼうに言葉を返す。
 すると、更に呆れを深く滲ませた声で。
「全く・・・。何もないわけがないだろう?
 こんな時間に、こんな処に潜っていて・・・。
 さては、喧嘩したなアルフォンス君と」
 妙な確信に満ちた言葉は苦笑さえ含ませていて、それがより一層、エドワードの神経を逆撫でてくる。
「別に・・・してない。 
 構うな・・・よ」
 何も知らない人間に、知ったかぶりで付き纏われるなど、
今のエドワードの心境では、耐えれるはずも無い。
 だから、サッサと去れと伝えるように、つっけんどんに返して、顔を背ける。
 もう、構ってくれるなというように。
 なのに相手は、何を悠長に構えているのか、暢気に土管を覗き込んでは、指など叩いている。
 これは大佐の癖だ。 考え込んでいる時に指を弾いているのを、
エドワードは報告書を読んで貰っている間に、何度も見ている。
 そんな相手の反応に、エドワードが焦れて、再度言葉を吐きだそうとした瞬間、
相手の行動に度肝を抜かれた。

「兎に角出なさい。 こんな時期にこんな処でいれば、冷え切るのも当たり前だろう!」
 そう怒ったように告げられたかと思うと、無理やり身体を引っ張り上げられる。
「なっ! はな・・・せ。かまう・・なよ」
 驚きで言葉も上手く紡げない間に、相手は容赦なく自分を土管から引きずり出した。
 その時初めて、エドワードは自分が凍えている事に気が付く。
 上手く足に力が入らないのを見ていた相手は、叱咤を飛ばすように舌を鳴らしたかと思うと。
「わっ!? な、なに? おろせ・・・」
 ひょいと担ぎ上げられた驚きに、寒さで緩慢にしか動かない身体を、必死にバタつかせて抗議する。
 その弾みに、大佐が差していた傘から水滴が飛び散る。
「冷たい! 静かに担がれてないか!?
 碌に動けもしない程まで冷え切っているような馬鹿者に、四の五の言う資格は無い。 
 鋼の、今の君はただの荷物だ、黙っていろ!」
 厳しい相手の言葉に、エドワードの不満も引っ込めるしかなく、
その後は相手の成すがまま運ばれるしかない。
 
 面倒をかけた事に怒っているのだろう。 エドワードを担ぎ上げたまま、
些か乱暴に歩いていくロイの肩の上で揺られながら、不思議と安堵感が押し寄せてくる。
『大佐はいつも、俺を叱るんだよな・・・』
 出遭った最初の時から今まで、大佐には散々叱られ、怒鳴られてきた。
 勿論その時は、腹も立つし、悔しい思いもするのだが、おかしな事に時が経つと、
叱られた内容よりも、真剣に自分に向き合う相手の姿勢を認めてしまっている。
 だからなのか、反発し反抗的な態度を返す反面、相手の言う事を素直に聞こうとしている自分が居たりもする。

 湿った衣服を通してでも、温かな体温が伝わってくる。
 温かさを感じると、途端に身体に震えだすのは、きっと凍えていることに、身体が気づくからなのだろう。
 寒さも温もりも、喜びも悲しみも、両方知っているから判るのだ。
 気づかなければ、…いや、気づかないようにしていれば、寒さも、悲しみも、痛みや嘆きでさえも、
さして人に苦痛を与えるものでもないことを、エドワードは知っている。

 己の突然の行動に、エドワードがそんな事を考え、戸惑っているのも気付かずに、
大佐はエドワードを家に連れ帰り、せっせと湯船の準備をしている。
 今も湯加減を調整しているのだろう。
 手を差し入れて湯加減を見ているのにも、思わず驚かされ、呆気に取られたように見ているエドワードに
近づいてきたかと思うと、手際よく湿った服を脱がせていく。
 そうして、猫の子のように持ち上げられたかと思うと、ストンと浴室の縁に座らされた。
 浴室内は、蒸気に暖められ寒さは感じない。
 エドワードが、相手の意外な行動に呆気に取られていく間にも、大佐は着実と手順を進めて行ってるようだ。
 熱過ぎない湯に足を浸らせると、手先にも温めの湯をかけていきながら、機械鎧の事を気にかけてくる。

 大佐からのそんな行為には慣れておらず、意外に思う気持ちが更に戸惑いを大きくしていく。
「大佐・・・もう、大丈夫だから・・・」
 気恥ずかしさが遠慮の言葉を象ると、大佐も気が済むとこまで終わらせたのか、
浴室から出て行く素振りを見せる。
 出掛けに念を押してくる言葉にも、自然と素直に頷いて返事を返せたのは、
いつもの大佐じゃないような気がするからかも知れない。
その声に自分の思考から呼び戻される。

 独りになり、湯船に沈みながら。
「驚いた・・・」
 今の素直な感想を呟く。
 自分の知っているロイ・マスタングと言う男は、あんなに面倒見が良かっただろうか?
 別に不親切にされた事はないが、あそこまで色々と気を回して世話を焼かれた事も無い。
 どちらかと言うと、面倒さえかけなければ、放任主義に近い姿勢を見せてきていた。
 だから、何となく、いつものように反発しにくいのだ。
 いつもなら、負けじと張る虚勢も、妙に親切な相手の行動の前では、我を通しにくい。
 風呂から出て、身支度を整えながら、エドワードは戸惑う。
「やっぱ、挨拶くらいはして帰るべきだよな」
 いくら相手にとっては、仕方ない状況で助けたとは言え、やはり最低限の礼儀も示さずに去られれば、
気分の良いものではないだろう。
 それにそんな事をすれば、後々どんな嫌味を言われ続けるか・・・。
 そう考えると、乗り気ではない足取りで、人の気配がするリビングらしき場所へと向かう。
「出たのかね?」
 部屋に入る前に問い掛けられた声に、短く礼を返しながら入って行く。
「うん、サンキュー・・・」
 大佐は寛いだ様子を見せながら、エドワードに話しかけてくる。 
そんな雰囲気も、司令部に居る時とは全然違う感じがする。
「まぁ・・・構わないがね、せめて宿を飛び出すなら、他の宿に飛び込む位、機転を利かせていたまえよ」
 大佐の最もな言葉に、思わず顔が赤くなる。
「財布・・・持って出るの忘れたから・・・」
 羞恥で赤くなっている顔など見られたくないので、態と不機嫌さを装い、短い返事を返す。
 そのエドワードの返答に、呆れたような嘆息を付きながら、大佐はリビングから姿を消した。

『迷惑掛けちまったよな・・・』
 自分で自分の行動が抜けていると判っているだけに、深夜に拾った大佐の迷惑度も、ヒシヒシと伝わってくる。
『どうしよう・・・。 もう出てってもいいかな・・・』
 大佐も呆れきっていたようだし、自分も一応、最低限の礼儀は示しただろう。
 この後は、素早く去るのが最良だろう。
 帰ると告げようか告げずに去るべきかを悩んでいると、ロイがカップを片手に戻ってくる。
「何をボッと突っ立ってるんだ?
 座っていればいいだろう」
 自然に掛けられた言葉が、心底不思議そうに思っていることをを伝えてくるから、
エドワードは毒気を抜かれたよに、珍しく素直な気持ちで「うん」と答えて、指し示されたソファーに座り込む。

「ほら」
 と差し出されたカップには、どうやら紅茶と思し気物が入っている。
「済まないが、ミルクやレモンなどは用意がなくてね。 砂糖だけは有ったんで、適当に入れといた。
 それをサッサと飲んだら、朝までそのソファーででも寝ててくれ。
 帰るときは、適当に帰ってくれればいいさ。
 どうせ君なら、鍵など不要だろ?」
 差し出されたカップにも、その言葉にも、エドワードは驚いたように目を瞠って大佐を見つめる。
 エドワードの驚きが、不可解だったのか、首を傾げながら問いただしてくる。
「なんだい? 何かおかしな事でも言ったか、私は?」
 怪訝そうに聞いてくる相手に、エドワードは小さく頭を振ると、大人しく渡されたカップに口をつけ。
「大佐・・・これ、酒はいってる」
 込上げてくる思いを噛み砕くように、渋い表情を作り、そんな表情を、大人が淹れた苦い紅茶の所為にする。

 未成年に飲酒を勧める悪い大人は、エドワードの表情を子供らしいと思ったのだろう。 笑いを浮かべて見せてくる。
 一気に飲み干した紅茶が、エドワードの胸を温かくしたのは、アルコールの所為だけでもないのかも知れない。
 苦味に顔を顰めて見せなければ、自分は泣き出していたかも知れない。 
 大佐にとっては、保護した子供に、すべき対応をしたまでの事なのだろうが、
それが自分を泣き出させそうに思えるほど、自分の心は悴んでいたのかも知れない。

 寒く冷たい雨が降り続けているようだが、今の自分には関係がない。 
 震えて眺めていた、風景の中の一つの灯りの中に、今は包まれているのだから…。

 その晩、エドワードは久しぶりに穏かな眠りについた…・


 ***
 
「兄さん、兄さんってば!」
 アルフォンスの呼びかけに、列車の車窓に向けていた視線を廻らせる。
「・・・ん? 何だ?」
 間の空いた返答に、アルフォンスがこれみよがしなため息を付く。
「ん、何だじゃないよ。 何度呼んでも返事しないしさ。 妙に嬉しそうな顔して外ばかり眺めてて…。
 何か良い事でもあったの?」
 何気なく聞かれた言葉なのに、思わず内心うろたえてしまうのは、何故なのだろう。
「別に良い事なんか、特に無かっただろう?」
 そう、弟と四六時中一緒に居たのだから、自分だけ良い事があるわけが無いではないか。
「ふ~ん。 まぁ、別にいいんだけど。 
 何か兄さん、凄く幸せそうな顔してたから、ちょっと嬉しくなって、気になっただけなんだ」
 そう伝える言葉は、本当に嬉しそうに、明るく弾んでいる。
「バ、バ~カ。 別にあんな事、幸せでも何でも無いに決まってるだろ!」
 つい今しがた間で思い出していた事で、『幸せそうな顔』をしていたと指摘されれば、
思わず反論が飛び出してしまう。
「あんな事? あー、やっぱり思い当たる事が有るんだ~。
 なーに、一体? いいじゃない、教えてくれたって」
 クスクスと笑いながら、自分に絡んでくる弟に、何も無いと必死に抗議して返すが、
それを弟が信じてくれた様子はない。

『そうだぜ、俺はちゃんと、一宿一飯の恩義は返したんだから、等価交換だ。
 それでチャラだ、チャラ…』
 
 旅立つ前に、迷惑を掛けた大佐には、礼の品を渡しておいた。 まぁ…ちょっと、
乱暴な渡し方になってしまったが、改めて渡すとなると、品もきちんとした物でないと、拙いだろう。
 エドワードが大佐に渡した物は、自分の好物がぎっしりと詰まった袋だったので、
改めて渡すような物でもないからだ。

 でも何故だかあの日は、自分の気に入っていると自信を持って言える、アレを渡したかった。

 ホカホカの揚げたてのドーナツ。
 エドワードの大好物で、お気に入りの商品だ。
 温かく甘いドーナツは、いつもエドワードの胸に、小さなモノを与えてくれる。 
 そしてそれはほんの少しだけ、ロイがエドワードに与えたものに似ている気がした。

 優しく穏かだった時に得ていた、懐かしいぬくもりに……。



 



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